一人の時間が耐えられなくて、誰かと連絡を取り続けてしまう。予定が空いていると不安になる。そういう状態のときに始まる恋愛が、なぜかうまくいかない——心当たりのある人は多いはずです。
ショーペンハウアーは『余録と補遺』に収めた処世術の議論の中で、孤独を繰り返し肯定しました。人嫌いの哲学者として語られがちですが、彼が書いているのは、人を避けろという話ではありません。
交際が必要になるのは、内側が乏しいとき
彼の見立てはこうです。人が社交を強く求めるのは、自分の内側だけでは時間を持たせられないからだ。内側に充実したものを持っている人ほど、他人を必要とする度合いが下がる。
これは他人を軽んじる主張ではなく、依存の構造を指しています。退屈から逃れるために人と会うとき、その人は相手といるのではなく、退屈から離れているだけです。
そういう動機で始まった関係は、退屈がしのげているあいだしか続きません。
恋愛に持ち込むと何が起きるか
寂しさから始まる恋愛が難しいのは、相手が「寂しさを埋める役」として配置されるからです。
役として置かれた相手は、役を果たしているかぎりは歓迎されますが、果たせなくなった瞬間に責められます。忙しくて連絡が減っただけで裏切られたように感じるのは、相手ではなく役に期待していたからです。
しかも、この期待は言葉になりません。当人も「寂しさを埋めてほしい」とは言わない。だから相手には理由の分からない不満として届きます。
一人でいられることは、冷たさではない
誤解されやすいのですが、一人でいられることと、人を求めないことは別です。
一人の時間を持てる人は、相手といるときに「離れられたらどうしよう」という恐れから自由でいられます。恐れがないぶん、相手を試さずに済む。試さずに済むと、関係は静かになります。
つまり孤独に耐えられることは、相手を遠ざけるためではなく、相手を安心して近づけるための土台になります。
とはいえ、孤立とは違う
彼の議論をそのまま受け取って、人と会わない生活に閉じるのは行き過ぎです。彼自身、社交の効用を全否定してはいません。
線引きは単純です。一人の時間が、戻ってくるための場所になっているか。それとも、逃げ込む場所になっているか。前者なら孤独、後者なら孤立です。
タロットでは「隠者」
隠者は、灯りを持って一人で立つ姿のカードです。この灯りは自分で持っています。誰かに照らしてもらっているのではありません。
関係の悩みの場でこのカードが出たとき、多くの場合は別れを示しません。相手との距離ではなく、自分の灯りの状態を見なさい、という読み方をします。灯りが消えかけているときに人を求めると、相手の火を借りることになり、借りた火では長くもちません。
今日からできること
週に1回、2時間でかまいません。誰とも連絡を取らず、SNSも見ない時間を作ってみてください。何をするかは自由ですが、時間を潰すためのものは選ばないほうが効きます。
最初の数回は落ち着かないはずです。それでも続けると、連絡が来ないことへの反応が変わってきます。相手の返信が遅いときの苦しさは、相手の問題ではなく、こちらの一人の時間の質の問題であることが少なくありません。